「ちゃんとする」って何だろう?
かれこれ10年近く前のこと。ワーキングホリデービザを取得して、カナダ・バンクーバーで、語学を学んだり、アルバイトをしながら生活していました。
あるとき、バイト先のボスや同僚たちと、スケジュールを合わせて食事に行くことになり、待ち合わせをしました。
待ち合わせは、ロブソンストリートのBlenzコーヒ―前で、18時に集合。
当日、集合場所に来た順番はこんな感じ。
17:50頃 日本人である私が一番乗り。
17:55頃 次いで、ドイツ人カップルの同僚が現れました。
18:00頃 韓国系移民のボスと、ドイツ人のスタッフが到着。
18:30頃 フランス人スタッフが到着。
未着 ブラジル人スタッフは、その日、食事会には現れませんでした。
ちなみにこれは、国民性を批判する話ではなくて、「時間前に来た私が正しくて、遅刻する人が間違っている」、ということが言いたい訳ではありません。
ブラジル人スタッフが来なかったのにはさすがに笑えましたが、
遅刻してきたフランス人スタッフが、急ぐ様子もなく、「Hi~♪」と言いながら、ゆったり優雅に現れたときは、衝撃的でした。
私は、このとき、
「ちゃんと時間を守らなければいけない」という
「私だけの常識」を持っていることに気がつきました。
日本人は特に、周囲との調和や、協調性を重要視する文化です。
人に迷惑をかけないように、人に嫌な思いをさせないように、小さな子どもの頃から教育を受けています。
そのおかげで、社会的に秩序が保たれ、安全で平和な国なのだと思います。
だけど、子どものときによく言われる「ちゃんとしなさい!」の、「ちゃんと」って何でしょうね?
私たちの無意識のなかに、「ちゃんとしないといけない」という観念が植え付けられているような感覚があるのは、否めません。
本質の抜け落ちた「ちゃんとする」
たとえば、「ちゃんと時間を守ること」を例にして、
そもそも、なぜ時間を守らないといけないのか?に焦点をあててみます。
その本質を見つめていけば、気づけることがたくさんあります。
時間を守ることは、信用に繋がるし、人を待たせることは、その人の「時間を奪うこと」だと言えます。なによりも、効率的に物事が進められます。
他にもあげると、「時間を守る必要性やメリット」が色々出てくるでしょう。
そうです。「時間を守る」という行為は、その方がメリットがあるし、いろんな意味で理にかなっているのです。
だけど、その諸々の本質が抜け落ちた状態で、「ちゃんとすること(集合時間は守らなければならない)」に囚われ過ぎると、
「ちゃんとしていない人」に対してイライラしたり、その人に対して批判的な目で見ることに繋がっていきます。
そして、どれだけ「時間を守る」ことにメリットがあって、理にかなっていたとしても、「絶対に時間を守らないといけない!」という訳ではないのです。
重要なことは、「常識を守ること」ではなくて、
本当に大切なことは、「自分が何を優先するか?」に意識的になること。
ただこれだけです。
遅刻してきたフランス人の同僚も、連絡なしで現れなかった同僚も、「自分の時間」を優先させただけなのです。
「自分だけの常識」を疑う習慣を
「ちゃんと時間通りに来なかった!」という理由で、イライラしたり、怒りをぶつけたり。不機嫌モードでその日を過ごす選択肢もありますが、
その負エネルギーに苦しむのは、自分自身なわけです。
湧きおこった怒りの感情は、抑えつけてるよりも、ちゃんと体で感じきりましょう。そして、自分の本心に関心を向けてみましょう。
自分の時間を消費されたように感じるのなら、それを伝えれば良いのです。
時間にまつわることだけでなく、無意識のうちに抱えている「世の中の常識」だと思っているものは、実は「自分だけの常識」だったります。
他人の常識とのギャップだったり、誰かが決めた「ちゃんと」に従わないといけないという思い込みだったり、
「自分だけの常識」に縛られて苦しんでいるのなら、「常識」だと思っていることを疑ってみましょう?
「常識の枠を外してみる」
それは、秩序を乱すようでもあり、未開の地に足を踏み入れるような恐ろしさもありますが、
囚われた心や思考は、より柔軟に、より自由になり、
視野が広がって、
本当の自分軸で選択して、
想像もしていなかった、新しい世界が見えてくる、その一歩になるのです。